BLOGしょう先生のブログ
おはようございます。今日もお越しくださり、ありがとうございます。
今日は、歯科とは関係のない「人生の気づき」コーナーです。
歯磨きをしないお子さんの言い訳
矯正治療中のお子さんが、全く歯磨きをしていない時に、こんな言い訳をすることがあります。
「どうしてお家で歯磨きできないの?」
「だってお母さんが、早く寝なさいって言うんだもん。」
お母さんは横でびっくりして、そして怒っています。
お子さんの思考回路を整理すると、こういうことです。
・歯磨きをしたいと思っている
・だけど、お母さんが早く寝なさいという
・だから私は寝た。
こんな理屈を言うお子さんに、お母さんはこう言います
「もう!全く反省の色が見えないわ!」
「ああいえばこういう!!」
「あなたが歯ブラシ加えてぼーっとテレビ見てるからでしょ!」
あー。これはイライラが積もりそうですね。
さて、ここでみなさんに考えてほしいことがあります。
みなさんは、このお子さんのような言い方、していませんか?
大人でも案外多い、他人を主語にする言い訳
私は前職で、スタッフのシフトを組むこともしていました。
突然体調を崩したスタッフがいたら、誰か代わりに入れる人がいませんか?と聞いて回ったりすることもありました。
スタッフが急に病気で休むのは、たいてい当日です。
そのため、交代が見つからないことはある程度予測しています。
また、休みのスタッフには出勤の義務はありませんので、別に断られても致し方ないですし、別にそれが普通だと思っています。
ただ、出勤を断られる際に、こんな理由をよく耳にしました。
「今日は夫が在宅なので行けません」
「子どもが帰ってくるので夜は家から出られません」
これって、先ほどのお子さんに似ていると思いませんか?
誰かのせいにして、出勤できない理由を伝えられることが、結構多かったです。
そんな職場で、一時期大量に退職者が出たときがありました。
その時はなんとか現職のスタッフでやりくりをしようと頑張って調整したのですが、その結果、独身の女性スタッフに結構な負担がかかりました。
みんなの疲労がピークに達したある日、私にとある若手スタッフが、こう言ってきました。
「結婚したらなんでもありなんですか?結婚したもん勝ちですか?」
疲れた顔で言ってきたあの日のことを、私は忘れられません。
主語を「私」に変えてみる
歯ブラシをしない子も、出勤を断るお母さんも、全く悪気はありません。
心から思っていることを、言っているだけです。
ただ、私はこの答え方って、少々危険だと感じます。
お子さんの場合
例えば、さっきのお子さんの場合、「お母さんが早く寝なさいって言うから歯磨きをしなかった」と言っていました。
ではもし、大好きなアニメ番組がテレビで放映されている状況で、お母さんが「早く寝なさい」と言ったとしても、お子さんは寝たのでしょうか?
もちろん、健康のために最終的には寝かされると思いますが、「もうちょっとテレビ見たい」と食い下がるのではないでしょうか。
「早く寝なさい」という助言があったとしても、最終的に「寝る」と決断したのは「私」なのです。
「私が、歯磨きをしないと決めた」のです。
お母さんの場合
出勤交代を断った女性も「夫が家にいるから出られません」と言いますが、ではもし、同級生からのランチのお誘いだったとしても、夫を置いて家から出なかったでしょうか?
お母さんが大好きな嵐のライブチケット、しかもプレミアチケットが余ってるんだけど…とお誘いをいただいても、「夫が家にいるから行かない」と断るでしょうか?
もしかしたら「一生に1度しかないかも!」と思って、夫にお願いをして、出かけるかもしれませんよね。
出かけなかったとしても「ねえ、嵐のライブ誘われたんだけど、行ってもいい?」って聞いてみるぐらいはしたかもしれません。
結局、誰かが急病で困っている状態でも「出勤交代しない」と決めたのは「私」なのです。
「私が、交代しないと決めた」のです。
自分の心に気づくことが大切
私は、この記事で、歯磨きをしないことが悪いことだと言いたいわけではありません。(もちろん歯磨きはしてほしいのですが)。
また、出勤交代を断ることも、悪いことではありません。休暇は当然の権利であり、断るなと言いたいわけではありません。
問題は、この記事で書いたお子さんやお母さんが「自分の意志で選択している」ことに気づいていないことです。
これは、大きな問題だと思います。
「お母さんが早く寝なさいって言ってるから歯磨きしなくて仕方ないよね。」
「今日は旦那がいるから出勤断って仕方ないよね。」
この状態で思考が停止してしまっていると、自分の意志で動いていることに気づきません。
あくまで他人が原因であり、その結果私がこうなったと思っています。
自分の道は、自分で選ぶ
人生にはさまざまな岐路があります。
努力する道、楽な道、入り組んだ道、まっすぐな道。
どこに進むにも、それなりに考えて選ばなければなりません。
その結論を出すときは、ぜひ主語を「私」にして文章を作ってみてください。
「子どものためだから●●する」
それ、本当でしょうか?
「私がしたいから、●●している」のではありませんか?
私がしたいこと、あるいは私がしたくないことなのに、他人を主語にして、カムフラージュしていませんか?
主語が子どもでも私でも、結果として現れる行動は、同じかもしれません。
でも、自らで選んだ道、すなわち主語が「私」の道には、自らの責任で立ち向かいます。
一方で、誰かが選んだ道では、言い訳を並べることが、簡単にできてしまいます。
逃げ道があるわけです。
みなさんは、誰かが選んだように見せかけて道を選んだり、誰かのせいにして、言い訳をしやすい状態にしていませんか?
それは、楽に生きるためには良い選択ですが、自分の人生という道を自分で選んでいるとは、言えないかもしれません。
自分の本心を見つめなおしたいときは、主語を「私」にすると、見えてくるものがあると思います。
今日もお読みくださり、ありがとうございました!