BLOGしょう先生のブログ

「できなかった」からこそ深く考える

この1週間、英語の勉強がほとんどできませんでした。

「仕事が忙しかったし、体調もすぐれなかったし

精神的にも辛い出来事があったし…」

と、できなかった理由をぼんやり考え始めたのですが

そこでふと、思うのです。

 

「本当にそうなのかな?」って。

 

もう少し深く考えると

私にはもうちょっと違う捉え方が

あるような気がしたのです。

「仕事が忙しかったから、英語の勉強ができなかった」

と思っていたのですが、英語の勉強の時間って

毎日1時間程度。

その時間がなかったのかと振り返ると

…あったんですよね。

 

例えば電車での移動時間。

医院の前を通る六甲ライナーに乗れば

片道10分の時間があります。

往復20分。

その時間何をしていたのか?と考えると

ネットサーフィンをしていたり。

 

他にもぼんやりしている時間をかき集めたら

絶対1時間以上、たくさんの時間があるんです。

私はその時間に

英語の勉強をするという選択をしなかった。

ただその事実が目の前にあります。

 

また「体調がすぐれなかった」と

冒頭に書きましたが

そんなことを言いながら

幼馴染との同窓会には参加していますし

ジムにも行っている。

テニスだって楽しんでいる。

全然元気です。

 

むしろ、体調すぐれなくて

ベッドで横になっていたら

スマホ1つでたくさん勉強する時間があります。

 

こうやって1つ1つを客観的に分析すると

結局

「やりたくないと思っているから、やっていない」

だけなんですよね。

なんだかんだ理由をつけていますが

他のことの方が優先順位が高くて

自らの意志で勉強しないことを選んでいる。

 

それを、環境のせいにしてはいけないなと思いました。

 

冒頭に書きました

「私は英語の勉強ができなかった」は、間違いです。

正しくは

「私は英語の勉強をしなかった」んです。

 

表現1つで、さも自分が悪くないようにして

責任を軽くしてしまっていることを反省しました。

昨日は出張帰りの道のりで

そんなことを考えながら帰ってきました。

 

人間ってどうしてこんなにも

意志が弱いのでしょうね。

 

私は

「ちゃんと矯正装置を使ってね」とか

「しっかり歯磨きするんだよ」と

お子さんに物事を指導する立場にいます。

 

人に指導をする人間が自分のことを棚に上げて

ああだこうだと説教をするほど

みっともないものはないのではないかと

思います。

 

お子さんもそういうことは、敏感に感じ取ります。

人に指導をするなら、まずは自分を見直す。

 

難しいことですが

できる範囲で頑張ってみようと思います。

意思を強く持ち

努力を積み重ねて最後まで到達しようと思っても

なかなか頑張りきれないのが

人間というものかもしれません。

 

ですが

頑張り切れないからといって

最初から頑張らない人は、子どもたちに

物事を言う資格はないのではないかと思います。

 

「僕たちも一生懸命頑張っているけど

なかなか頑張り切れないんだよ。」

背中でそう言えるような努力は

続けていきたいと思います。

 

みなさんは、お子さんに注意できるほど

自らを律することができていますか?

 

今日もお読みくださりありがとうございました!

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