BLOGしょう先生のブログ

そうじゃないと思う

私がよく言われることがあります。

「テニスもできて、字もきれいで

頭も良くて…何かできないことってあるんですか?」

そう思っていただけること、とても嬉しいです。

最高の誉め言葉をありがとうございます。

でも、いつも褒めていただきながら

なんだかその特別扱いに、違和感を覚えています。

私がテニスができるのは、5歳からずっと続けているから。

 

プロほどの強さはなく

あくまで一般人として、ちょっと上手なだけです。

 

字がきれいにかけるのは

授業のノートを取るときにずっと意識していたから。

 

小学校1年生の時に

「字が汚すぎて読めない」と担任に言われて

それから丁寧に字を書くようにしたからです。

 

お習字の先生と比べたら

たいしたことはありません。

 

頭が良いと言われますが

それは学生時代、毎日勉強をしていたから。

高校時代は決して優等生ではなく

予習復習をしないと授業についていけないようなレベル。

 

教科書を1度見たら覚えられるような

天才とはかけ離れた人間です。

結局どれも

「ちゃんと意思をもって続けたから

ある程度できるようになった」

だけだと思うんですよね。

 

逆に言えば、続けていないことは、全然できません。

器械体操系は全くできませんし

野球やサッカーもできません。

 

ですので、皆さんにお褒め頂くことはとても嬉しいのですが

何も私が特別なのではなく

皆さんもできる、普通のことだと思うのです。

ただ、やっていないだけ。

 

皆さんも続けていることは

出来ていると思うんですよね。

 

料理を続けている方は料理ができる。

ゲームを続けている方はゲームができる。

なんでも続けることで、できるようになっていく。

「いやいや!ずっと塾に通っていたけど

頭良くならなかった!」

…なんて声が聞こえてきそうですが

それは、意思をもって続けていなかったからだと思います。

ただ、続けていただけ。

 

多くのお子さんが、親から言われて

あるいはお友達が行っているから

塾に行っているだけでしょう。

 

それは、意味がないと思います。

 

お習字の時間って

「意思をもって」文字を書いているから

文字がきれいになっていくんですよね。

 

なんとなくメモ帳に字を書いていても

絶対きれいにはなりません。

 

それと同じで

なんとなく習慣で塾に行ったところで

頭がよくなるはずはないのです。

 

意思をもっていないと

人間は変わらないのだと思います。

 

私は小中学生の頃

塾に行くことは必要ないと思って

独学で勉強を続けました。

意思をもって、独学を選択していました。

 

母から

「地元の友達作りのために塾に行ってみたら?」と言われ

半年ほど地元の塾に行きましたが

そこに来ている人たちの多くが

意思をもって勉強しに来ているようには

見えなかったことを覚えています。

 

だって、宿題もしていない人が

たくさんいたんです。

授業の少し前に来て

友達の答案を写す。

それ、何か意味あるのかなと思っていました。

 

それならお家で本を読んだり

お友達と遊んだほうが

よっぽど有意義だと思いませんか?

 

意思のない勉強は、意味がないと思います。

今、私は英語の勉強と、筋トレを続けています。

筋トレは6年目、英語は500日に突入しています。

 

毎日続けていれば、いつかある程度できるようになる。

そういうものなんじゃないかな…と思っています。

 

それができないという人は

・意思をもって続けていない

・他に興味が移って、やめてしまう

のではないでしょうか。

 

来年はどんなことを始めて

続けていこうかな…と考えています。

 

みなさんはどんなことを来年始めようと

考えていますか?

 

また教えてくださいね!!

 

今日もお読みくださり、ありがとうございました。

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