BLOGしょう先生のブログ

レッテル

「あの子は前の職場で財布盗んだ子やから

荷物には気をつけや」

昔働いていた職場で

上司にこんなことを言われたことがあります。

初めてその話を聞いた時はゾッとしました。

怖いなって思いました。

 

でも、しばらく一緒に働いていると

別の感情が湧いてきました。

 

「本当にそんなことした子なのかな?」

改めて上司に確認したところ

「彼女の前の職場にリサーチしたところ

そういう噂があった」とのことでした。

 

ただ、私の目の前で実際に働いている彼女は勤勉で

どちらかというと

「曲がったことが嫌い」なタイプでした。

 

ダメなものはダメだと

歯科医師(上司)にもはっきり言うタイプの人でした。

 

「そんな子が財布盗んだりするのかな?」

私は疑問に思いました。

 

もちろん、人の過去なんて

すぐに分かるものではありません。

 

今目の前にいる人が

過去にどんな善いことをしているかは知らないし

逆に最低な人間だった人もいるでしょう。

 

もしかしたら財布を盗みたくなるぐらい

困窮した生活だったのかもしれません。

 

ただ、少なくとも「今」目の前にいる彼女は

そんな様子は見られない。

 

だけど、彼女には過去のレッテルが

ずっとつきまとっている。

 

「今の目の前にいる彼女」ではなく

「過去の噂話で得られた情報の彼女」の方が

真実の姿だと認識されている。

 

そのことに私は納得ができませんでした。

 

なんだかすごく複雑な気分でした。

 

みんな、自分の過去の過ちには蓋をして生きているのに

他人の過ちには厳しい。

 

何より

「本人から聞いたわけでもなく、他人からの情報」が

目の前の本人より信頼できる情報として扱われている。

 

もちろん財布を本当に盗んだのだとしたら

それは絶対にダメなことだし

許されないことです。

ただ、それが本当かも分からない。

 

でも、なぜか人は「目の前にいる人」よりも

「噂話」を信じる傾向にあります。

私は院長に言いました。

「もしかしたらそれは

彼女が辞めた職場の院長の嫌がらせで

嘘の情報かもしれないですよね?」

 

私はどうしても納得できなくて

「今の彼女はとても頑張っているので評価してください」

と掛け合ったのですが、だめでした。

 

目の前の彼女よりも「不信感」が勝つ。

 

それが正しい社会なのかと考えてしまったのは

もう何年も前のことです。

こんなことを書くと

例えば「殺人」とか「性犯罪」のような

大罪を犯した人もお前は許せるのか?

と極論を突きつけられるかもしれません。

 

それはおそらく無理です。

 

どこまでなら許せるか、という線引きは非常に難しく

その許す側の人の心に依存するものになります。

 

ただ、今回の件で言うと

私が傷つけられたわけでもなく

実際に目撃したわけでもなく、あくまでも噂話。

 

過去がどうであれ

「目の前の人をちゃんと見る」ということは

大切なのではないか…と、その時に学びました。

 

みなさんは噂話ってどのぐらい信じていますか。

目の前の人の姿より、噂話が真実だと思いますか?

 

今日はちょっぴり難しいお話でした。

 

お読みくださりありがとうございました!

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