BLOGしょう先生のブログ
「良い人間関係を築くためには
言いたいことはちゃんと言わないと、伝わらないよ」って
昔からよく言われました。
確かにそれって一理あると思います。
言葉にしないと、伝わらない。
ですが
「こちらが黙っているから、良い人間関係が保たれている」
という理屈も、また一理あると思いませんか?
私が誰かに何かを伝える基準は
大きく2つあります。
まず、さまざまな側面から見て
お互いに非がある可能性がある場合は
何も言いません。
物事って、いろんな見方がありますから
独りよがりな考え方で口論になっていないか
できるだけ客観的に見るように心がけます。
そして次に、私にとって大切ではない人には
何も言いません。
私と違う世界で生きている人には
注意をする必要はないし
その世界の中でのルールがあるだろうからです。
先日、友人の行動に耐えかねることがあって
私の思っていることを伝えてみました。
それは以前から気になっていたこと。
もしそれを他の人にもしているようであれば
将来のその人のためにも良くないと思ったので
私の気持ちを伝えてみました。
でも、全然響かない感じで
「え?もしかして怒ってる?」って言いながら
ヘラヘラしていました。
あ、これは言っても意味がないなと思って
それ以上言うことをやめました。
もし、そこからそれ以上に伝えたら
喧嘩になるだけだし
どちらが正しいかって審議をしたら
私が正しいから相手を打ち負かすことになるだけ。
ただ、難しいことに
「正しいこと」が
「お互いにとって良いこと」ではないのが
人間関係なのです。
昔からそうでした。
例えば、若いころには
家族と口論をすることもありました。
でも、議論を深めれば結局
「あんたは正論ばかりだ」と言われて
それ以上話が進むことはありませんでした。
もうこれ以上言ってもらちが明かないと思って
「もういいです」と話を打ち切ると
「逃げるのか」と言われ。
じゃあどうすればいいのかと
途方に暮れたことは一度や二度じゃありません。
正論って、「正しい論理」だから
正論と言うのだと私は思います。
相手が私の論調を「正論ばかり」と言っているからには
私の方が正しいのは明白です。
でも、正論が「お互いにとって良い論」だとは限りません。
そこに「感情」という余計なものが入り込み
論理の邪魔をするのです。
「正論はそうかもしれないけれど
感情的にそれは納得できない。」
そんなことを言われたら、議論は進みません。
だって、それが話し合いとして成り立つなら
結局あなたの言い分が根拠なく通っているだけで
それは議論ではないからです。
そんなジレンマに、なんどもぶち当たりました。
本当にしんどい時期がありました。
(もちろん、人生には正しい答えの出ない質問や
答えのない難問が多くあります。
そういった問題には、お互いの感情も含めながら
議論を重ね、試行錯誤していくことが
正しい方法だと思います。)
社会人になって、後輩ができてからは
「言いたいことは言わないと、伝わらないよ」って
私自身もアドバイスとして伝えることがあります。
それが良い結果を生む場合もあるからです。
でも、その言葉を常日頃から
自信をもって発信している人っていますよね。
「私は言いたいことをいつも言えている
そして、相手も私に言いたいことを言えている。
だから良い関係を築くことができている!」
と思っている人がいるとしたら
それは現実が見えていないのではないかと思います。
自分が言いたいことを言った時
実は相手が我慢しているから
うまく成り立っているのかもしれません。
あるいは
お互い言いたいことを言っても
最終的に相手が折れているから
うまく成り立っているようにみえている。
真実は分からないけれど
そんな「可能性がある」ことを
心の隅に留めておくべきではないかと思います。
そして、そうやってお互いに
自分が我慢したり
相手に我慢してもらったりしていること
その両方に想いを馳せられるからこそ
その先に「思いやり」が生まれるのではないかと
私は思うのです。
逆に言うと
「言いたいことを言い合えているから良好な関係だ」
と思っている人は
相手が我慢していることを知らずに
毎日を過ごしているから
そこに深い「思いやり」はないのではと
私は考えます。
皆さんはどう思いますか?
人の心は千差万別なので
これが正解!ということはなく
難しい問題だと思います。
今日もお読みくださり、ありがとうございます!