BLOGしょう先生のブログ
おはようございます。今日もお越しくださり、ありがとうございます。今日は、人生の気づきコラムです。
今日は、何かできないことがあって悩んでいる人に、ちょっとしたきっかけを与える記事になればと思って書きました。
片づけができないんです…
それは1通のLINEから始まりました。
過去に勤めていた職場の後輩から、「家の片づけができません」と写真が送られてきました。
見るも無残なお部屋とキッチンでした。
いたるところに食べ物や衣服が散乱し、足の踏み場もない状況。
キッチンのシンクには、シンクの深さ以上に食器が積みあがっており、何もどこにも動かせない状態でした。
寝る場所もきちんと確保できておらず、これでは疲れが取れません。
仕事にも支障が出てしまうレベル。
片づけができる人になりたいとのことだったので、LINEで見える限りの状況から、私がいろいろな指示をしていきました。
「まずは食卓の上の物を片付けよう。」
「飲みかけのペットボトルは全部捨てようか。」
「本ってまとめられないの?」
「あちこちに落ちているサンプルみたいなのは全部捨てたら?」
などなど。
1つ1つこなしたらLINEで報告してもらい、また写真を送ってもらって、次のステップへ。
半日以上かけて、ひとまず床と、シンクに水が出せる状態ぐらいまでにはなりました。
でも、あるところで突然、音信不通になり、その後、再びLINEが来ることはありませんでした。
「出かけます。」とか、「疲れました。」とか、一切何もなく、終わってしまいました。
できないのか、やらないのか
その後、本人に会う機会があったので、話を聞きました。
「帰ったら疲れてしまって、片づけとかできないんですよね…」
まあ、確かにクタクタになるよね。
「休みの日は遊びに行くので、片づけはできないんですよね…」
そ、そうなんだ。。。
みなさんは、この後輩の話を読んで、どう思いますでしょうか。
片づけが「できない」んじゃなくて、片づけを「する気がない」。そう思いませんでしたでしょうか。
私の考えですが「できない」と「やらない」は別ものです。
「できない」というのは、その物事のやり方(克服の仕方)が分からない
「やらない」というのは、その物事のやり方(克服の仕方)は知っているが、それをする気がない
「時間がなくてできない」とか、「こんなことやったら怒られるからできない」とか、ほんとみなさんいろいろな理由を見つけて言います。
でもそれらは全て「できない」ではなく「やらない」に分類されます。
もし、「あなたの部屋が明日までに掃除できなければ、部屋に30匹のゴキブリを放ちます。」って言われたら、絶対明日までに片付けると思うんですね。
できないわけじゃないんです。でも、やる気がない。だから、しない。それだけのことです。
自分の意志で「やらない」と選択しているのに、「できない」と思っている
別に部屋を片付けても片付けなくても、それは個人の自由です。
そこは今日の問題ではありません(人として問題ではありますが)。
大きな問題は、自分の意志で「やらない」と選択しているのに、それに気づいておらず、どうしても「できない」と思っていることなんです。
これは、自分で自分の感情をコントロールできていないことを意味します。
言い方はきついですが、責任転嫁しているとも言えます。
「私って、片づけができない子だから…」とか。
「俺って、ダイエットできないタイプだから…」とか。
そういう言い方をすると、自分のことなのに、自分は悪くないと言っているように聞こえませんか。
他人のせいにしているように聞こえませんか?
正しくは
「私は、片づけをしません」
「俺は、ダイエットはしません」です。
もちろん、身体的な障害や、脳機能の障害など、どうしてもできないことがある場合もあると思います。
そういうお話をしているのではありません。
克服の方法を知っているのにそれが「できない」のは、自分で「やらない」と意思決定しているから。
それに気づくべきではないかと私は思います。
信頼を失ってしまう
「片づけができない」と「片づけをしない」。
この言葉の違いは微々たるものですが、どうしてこの「できない」という言い方は良くないのでしょうか。
それは、あなたが信頼を失ってしまうからです。
「片づけをしない」に関しては、それはその人の価値観として認められます。
そっか…片付けしない人なんだなって思うだけです。
まあ、せいぜい「片づけした方がいいんちゃう?」ぐらいの意見で終わるでしょう。
でも、「できない」と悩む人はどうでしょうか。
できないと悩む人には、手を差し伸べてくれる人がいます。
自分はそのやり方をできるようになる方法を知っているから、教えてあげようと思う人がいます。
悩んでいるから、何とかしてあげたいと思うのは、大切な人なら当然の感情かと思います。
しかしながら、「できない」と悩んでいるけど、実は「やらない」人や「する気がない」人は、その差し伸べてくれた手を取りません。
アドバイスを聞かないのです。
「私には無理」とか、「難しい」とか、「それをしたら怒られる」とか。
そしていつまでたっても、「できない」と悩んでいるままなのです。
そうなると、手を差し伸べた人は次にどんな行動を取るでしょうか。
次は手を差し伸べなくなります。
もうその人を信頼できないからです。
「あの人、できないって言ってるけど、結局するつもりないんだな」って思いますから。
それを繰り返していくと、だんだん、周りの人は手を差し伸べてくれなくなります。
助けてくれるタイプの人は、自分の周りからいなくなっていきます。
一方で「そうだよね~できないよね~ほんとムリだよね~大変だもんね~」と共感してくれる人は、周りに残ります。
そういった人たちは、特に手を差し伸べてはくれませんが、共感はしてくれるので、居心地は良いです。
でも、あなたは今の状況から、抜け出すことはできません。
あなたは、それでも良いでしょうか。
まとめ
日常生活において「できない」という言葉が、本当にできないものなのか、克服の方法・対処法を知らないのか、ぜひ吟味してみてください。
そこで突き詰めていくと、克服の方法を知っているけどそれをしていない。
つまり、「できない」のではなく、「やらない」と自ら選択していませんか。
「やらない」と選択することが悪いことなのではありません。
「やらない」と自ら選んだことに気づいていないのが問題です。
それは手を差し伸べてくれた人の信頼を失い、次に手を差し伸べてくれなくなる可能性を秘めています。
どうぞ今一度、「できない」と思っていることを見直してみてください。
本当にそれができるようになるための方法を知らないのか、確認してみてください。
今日もお読みくださり、ありがとうございました!!