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第12回【悩み続ける】Dr.コトーに学ぶ、医療の難しさ【人生の気づき】

おはようございます。毎朝7時に更新中のしょう先生のブログへ今日もお越しくださり、ありがとうございます。

 

 

テレビドラマ【Dr.コトー診療所】

最近、テレビの再放送でDr.コトーを見ています。初回放送は2003年なので、知らない人も多いかもしれません。

今テレビで活躍している俳優さんだと、「わたナギ」の大森南朋さんが若手として出ている医療ドラマです。

 

メインキャストは医師の吉岡秀隆さん、看護師の柴咲コウさん、助手の筧利夫さん。

他にも素敵な方がたくさん出演されています。

 

少し、あらすじを書きますね。

 

看護師が1人、助産師が1人の離島にやってきた外科医のDr.コトーは、始めは皆に受け入れられず、よそ者扱いでした。

 

しかしその人柄や、素晴らしい治療技術でたくさんの人を救い、町の人たち、子どもからおじいちゃんまでに好かれる存在になっていました。

 

 

コトー先生はみんなの人気者、のはずが

ところが1人の週刊誌記者が町に来たことで風向きが変わります。

なんと、Dr.コトーは、東京の病院で、女子高生を見殺しにした経歴があったのです。

週刊誌の記者は、その事実を島中の人に伝えます。

 

どうして隠していたのか。島の人たちは驚きます。

 

実は、もともとDr.コトーは、島の人たちにこの過去を隠すつもりはありませんでした。

でも、Dr.コトーを東京から島に連れてきた役場の課長が、村の人たちに誤解を与えないようにとの配慮で、隠すようにと指示をしていたのです。

また、週刊誌記者のばらまいた記事にある「見殺しにした」とは酷い表現ですが、実際のところは、極限で働く医療現場で、緊急搬送された患者様の治療に関する優先順位を考えた結果、不幸にも女子高生は亡くなってしまったというのが現実でした。

Dr.コトーは決して、治療を放棄したわけではありませんでした。

 

でも、どんな理由を並べたところで、結果的に亡くなった女子高生が亡くなったことにかわりはありません。

何を弁解しても、遺族にとっては、殺人犯同然としか思えないDr.コトーを許せない。

そして、週刊誌の記者こそが、亡くなってしまった女子高生の兄だったのです。

 

 

相反する気持ちのはざまで

島の人たちは悩みます。

今まで数々の人を助けてくれたDr.コトーへの感謝の気持ちと、過去の重大な事実を隠していたことに対する、裏切られた気持ち。

島の人たちは相反する感情に揺さぶられ、どうしたら良いのか分からなくなります。

 

そんな中、ひっそりとDr.コトーは、いなくなりました。

 

退職届と、島のみんなにお手紙を置いて。

 

島のみんなは、これからどうするのかそれは、続きを見てのお楽しみです。

気になる方は、ぜひご覧ください。

(どうやって見るのかが分からないですが…レンタルビデオとかで、見られるのでしょうか?)

 

 

1度のミスが許されない仕事

私は、医療ドラマが気になって、よく見てしまうのですが、こういった内容にすごく考えさせられます。

 

1.000人を救った医師でも、1人の死者が出てしまえば、その1人の遺族からは、憎まれてしまう。

 

憎まれるという表現が正しいのかは分かりません。不信感というのでしょうか。

【他の病院にかかっていれば助かったのではないか。】

【誤診だったのではないか。】

そんな気持ちで医師を見てしまう。

 

そして、人によっては、「あの医師は最低だ」と悪評を流すかもしれません。

それは、人として当然の感情だと思います。

身内が助からなかったり、後遺症が残ってしまったりすると、そう言いたくもなってしまうと思います。

 

でも、その医師は、その手術で手を抜いたのでしょうか?

本当に最低な医師で、真剣に向き合ってくれなかったのでしょうか?

私はどうしても、そうは思えないのです。

 

 

「私、失敗しないので」

違うドラマになりますが、Dr.Xというドラマをご存じでしょうか。

こちらは全く毛色が異なります。

失敗をしない医師が主人公で、ちょっと頼りない医師たちを蹴散らし、気持ち良く患者様を治していく、痛快なドラマです。

 

でも、実際の世界では、Dr.Xは存在しないのではないかと思っています。

ほとんどの医師がDr.コトーのように、失敗をしたり、亡くなってしまった方への後悔の気持ちを持ち、次こそは助けるという気持ちで現場に出ているはずです。

 

 

医者は神様じゃない

「医師は神様じゃない」という言葉。

基本的にこれは、お高くとまっている医師に対して、注意喚起する言葉として使われています。

 

でも、その一方で、患者側が、

「なんとか治してほしい」

「お前は医者だろう」

「治せないなんておかしい」

「見落としなんてあってはならない」

と感じている時には、心のどこかで、「医師は神様だ」とまではいかなくても、「医師はなんでもできる」「なんでも治せる」と思っている節もあるのではないかと思ってしまいます。

 

 

矯正歯科医師として

私は医師ではなく、矯正歯科を担当する歯科医師ですので、生死の境を渡り歩くような、命の危機に面することはありません。

でも、患者様の治療をする上で、1人の失敗も出してはならないと思う気持ちは同じです。

ただ、やはり歯科医師も経験を積み、学んでいくことがあり、全ての患者様に最高の治療を提供できているのかと問われると、胸をはって答えられるのか、難しいところがあります。

Dr.コトーは、一見すると煮え切らない、はっきりしない態度を取るときがあります。

おそらく、多くの視聴者の方はやきもきしていると思います。

でも私には、同じ医療従事者として、なんとなく分かる気がする瞬間があるのです。

 

失敗をすることもあると思います。

患者様やそのご家族から、不信感をぶつけられたりすることも、これからきっと出てくると思います。

そういった感情とどう向き合っていくのか。

本当に難しい問題だと思います。

 

もちろん、そんなことがないように、努めます。

みんなに笑顔になってもらいたいと思っているので、良い治療ができるよう、これからも精進していきたいと思います。

 

それでも、いつかDr.コトーのように、辛い現実と向き合わなければならない時が来るかもしれません。

その時に、耐えられるのかどうか。

その時になってみないと分かりません。

 

今日は、結論のない話ではありますが、とりとめもなく綴りました。

私はこのブログで、普段は診療でしか話すきっかけがない歯医者さんが、どんなことを普段考えているのかを知っていただけたらと思って、記事を書いています。

少しでも参考になれば、幸いです。

 

 

今日もお読みくださり、ありがとうございました!

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