BLOGしょう先生のブログ
先日、「真の友達とは」という難しい話を友人としました。
私の友人Aさんは「自分がダメな方向へ流されてしまいそうな時に、本気で止めてくれた友人がいた」そうで、その子は親友だと思えたから、今も長い付き合いをしているとのことでした。
他の友人たちは、ダメな方向へ行きそうなAさんの話を面白がって聞くだけだったり、Aさんがダメな方に行くんだとしても「それはしょうがない、私が同じ立場だったとしてもそうする。」などと、今思いかえせば適当な後押しをしてくれていたんだそうです。
『ダメなことはダメ、と言ってくれた友達、とても素晴らしいし、友達想いの素敵な友人だなぁ…』と感動しながら、でもちょっと胸に引っ掛かるものも感じながら、お話を聞いていました。
私は幼少期から、よく悩み相談を受けていました。
なぜかは分かりません。口が堅かったからでしょうか。
相談を受けるたびに、友人の役に立てるように、自分なりの回答を一生懸命話してきたように思います。
ただ、答えた後に悩んでしまうこともよくありました。
「その答えで良かったのかな…」と。
相談をしてくれる人って、「背中を押して欲しい人」でもあるのかな…と思うんです。
例え良くないことをしている自覚があったとしても、
そんな弱い自分を認めて欲しい。
肯定してほしい。
あなただけには分かってほしい。
そんな気持ちがあるのかもしれません。
そう思って話してくれている友人に、正論をぶつけてしまう。
冒頭の友人の話のように、ハッとして我にかえる、良いパターンもあるでしょう。
でも、正論で斬られて、何も言えなくなって。
分かってはいるけど、悪いことがやめられない。
そう思って、私から離れていってしまった友人もいます。
私は、友達に、誰かを傷つけるような人になってほしくない。
その良くない行動を、後押ししたくないと思ってしまいます。
でも、過去には
「人間、後ろめたいことも多少はしながら生きてるんじゃないですか」と言われたこともあります。
なんだか心に刺さりました。
人間って、そういうものなんでしょうか。
もしそれが真ならば、たまには後ろめたいことを話して、赦してもらえる友人も必要なのでしょうか。
その時は心から良いと思って、本当に親身になって答えていたつもりなのですが、
それで良かったんでしょうか。
「離れていってしまった友人は、真の友人ではなかった。」
そう言ってしまえばそれまでなのかもしれません。
ですが、私がもっと良い対応ができていたならば
今も良い関係でいられたかもしれない…と悩むことがあります。
みなさんは、友人の悩み相談に、どう答えていますか。
真の友人になれるように、リスクを負って親身に答えますか?
それとも、縁を大切に、当たり障りのない、背中を押す答えをしますか?
そして、どちらが本当の友達だと思いますか?
難しい問題ですよね…
今日もお読みくださり、ありがとうございました!