BLOGしょう先生のブログ
私が幼稚園~小学校の頃、好きだったテレビ番組があります。
それが、水戸黄門です。CMに入るときのドラの音は怖かったのですが、悪を次々となぎ倒していく助さん格さんと、「この紋所が目に入らぬか~!」の一言が好きで、よく見ていました。
アンパンマンもたまに見ていたのですが、どちらも最終的に悪がやられる構造になっていて、爽快だったのを覚えています。
一方で、火曜サスペンスドラマのような、ちょっと複雑な人間関係が原因で引き起こされる、悲しい殺人事件!みたいなのは、どうも釈然としなかったんです。
いろんな事情があって、追い詰められた上での犯行。殺人は良くないことだから、罪を補って、また新しい人生を歩みましょう!といった終わり方で、納得がいかないというか…あまり気持ちよく見られませんでした。
水戸黄門も、アンパンマンも
私が見ていたテレビは「勧善懲悪」ものが多かったようです。
勧善懲悪(かんぜんちょうあく)善い行いを勧め、悪い行いを厳しく懲らしめること。
そういったテレビを見て育っているので
「悪いことをしている人は、いつか、どこかで罰せられる。」
そう思って今まで生きてきました。
もちろん、常日頃から思っているわけではないのですが
どうも深層心理には刻まれているようで
そのマインドが悪いことをしないように、自分を縛っている気がします。
ところが、歳を重ねるにつれて、いろいろな人と接するようになると
悪いことをしていても全然罰せられていない人がいたり
自分は悪くないと開き直っている人もいたり。
悪いことをして、反省したように見えていたけれど
また同じようなことを繰り返している人がいたり。
世の中の不条理といいますか
悪いことしたもの勝ちの部分が見え隠れするんです。
なんだかなあ…と思うことが増えました。
「人は少なからず悪いことをしている。」
そういうものなんでしょうか。
もっと、みんなが善い行いを積んでいけば
もっと良い世界になるんじゃないかな。
ふと、そんな思考に入ってしまう自分がいます。
理想論ばかりでは世の中は回らないので
机上の空論と分かっているのですが…
今日はちょっぴり深い話になりました。
お読みくださり、ありがとうございました!