BLOGしょう先生のブログ
おはようございます。今日もお越しくださり、ありがとうございます。
ジュニア時代からの恩師
私は幼少期からテニスを習っていたのですが、その内の3/4ぐらいは福井コーチに習っていました。
もうあれから20年近くが経ちますが、今も現役でコーチをされている、六甲アイランドでテニスをする人たちの間では有名なコーチです。
精密機械のようなパッシングショット
私がジュニア時代の練習で、2番目に覚えているのが、最初の球出しです。
フォア、バック、フォア、バックと4球打ったら、ボールを集めに走って、次に自分の順番が回ってくるまでに戻らないといけないというのが、当時の定番でした。
ひたすら走って、ふらふらになっているので、自分が打つボールの質はすごく悪くて、とにかく足を使って走る、走る。
なんか意味あるのかなぁと思いながら、延々と走って、「ラスト!!」の声をひたすら待ちます。
そして、ラスト!で終わるのかと思いきや、次はコース変更。あーまだ続くのかー。。。
そして、吐きそうになった子が、1人、また1人とトイレに脱落していきます。そんな拷問が毎日ありました。今となっては良い思い出です。
そして、練習メニューの中で1番覚えているのが、アプローチショットからのボレー対ストローク。
コーチが甘いボールを出してくれるので、前に詰めていくのですが、100%負けます。
精密機械のように打たれ、サイドを抜かれて終わるので、この練習を機に、私は前に出たら負けると学びました。びっくりするぐらい何度も何度も、サイドライン上(コートの端っこぎりぎり)にボールが落ちるのです。
私の幼少期はまだ、プレースタイルがサーブ&ボレーの人もいたのですが、少なくとも福井コーチの元で育った方で、サーブ&ボレーヤーになった方はいなかったと思います。
だって、負けちゃうから。
本当に20年以上経っても忘れられない、針穴に糸を通すようなショットでした。
赤鬼との異名も
先日私の少し先輩から福井コーチのお話を伺ったところ、昔は「赤鬼」とのあだ名がついていたぐらい、皆が恐れ慄くコーチだったようです。
私が生徒の時も、よく生徒を「叱り飛ばす」感じはありました。沖縄での合宿があったのですが、スマッシュをコントロールする練習だったのに、福井コーチにぶつけた子がいて、その子はひたすら坂道を走らされていました。
でも、叱られる子は決まっていて、ちゃんと言われたことをやらないから叱られているって感じでした。
そして、今は、あまり怒らない、穏やかなコーチになっていました。
私たちがジュニアの時は、休憩時間は水分補給だけで、コートの移動時も「走れ!」とか言われてましたが、今の子たちは全然走りませんし、ボール拾いもゆっくりしてます。休憩時間にはスマホのチェックまで!
コーチでもない私でも、受け入れがたい現実でしたが、福井コーチはピクリともせず、子どもたちと普通に接しておられました。
つい2日ほど前に、写真に写っている達也くんと、コーチだいぶ丸くなりましたね!と話したのですが、
「やっぱり怒るのもな、エネルギーがいるんや」と仰っていました。
時代に合わせて、コーチも意識的に変化を取り入れておられるのかな、と思いました。
ガン細胞にも打ち勝つ強さ
すでにFacebookで公開されているので、多くの方がご存知ですが、現在福井コーチはゴルフで100を切ることと、ガン細胞に勝つという、2つの目標に挑まれています。
抗がん剤を打つと、副作用でしんどくなってしまう方が多いイメージなのですが、福井コーチはガンと闘いながらゴルフに挑むという、鉄人ぶりを発揮しておられます。
病室にお見舞いに行った時も、「病院の服着たらな、病人みたいやろ、そやからテニスウェア着てるねん」と真顔で仰っていて(ツッコミ待ちなのかなと一瞬考えましたが)、そもそも病気であるという前提を、気持ちで跳ね除けていることに、すごいなぁと思いました。
ガンもかなり小さくなったようで、あとは手術で取るだけだと伺いました。
「ゴルフで100切ってから、腹切るわ!」
と、これまた日常生活ではなかなか使えないジョークで豪快に笑っておられた福井コーチ。ゴルフで100切って、腹も切って、元気になってまたテニスコートに戻ってきてくださいね!
他の「プロフェッショナル」記事はこちら