BLOGしょう先生のブログ
おはようございます。
今日は、久々に人生の気づきコラムです。
こちらは歯科に全く関係ありませんが、私の考え方や、私の気づきについて綴っています。
今回は、2013年に気づいたこと…もう10年近く前の気づきになります。
目次
観月ありさ主演のドラマ「斉藤さん2」
皆さんは「斉藤さん2」というドラマをご存じですか。
小学生の息子を持つ主婦の「斉藤さん(観月ありささん)」は、曲がったことが大嫌い。
ゴミ捨てもポイ捨てでも、子どもにとって教育上良くないと思うことは、どんなに相手が怖いオバチャンやヤンキーであっても指摘する、強いお母さんです。
その斉藤さんと同じ小学校のママ友が「摩耶さん(桐谷美玲さん)」。
摩耶さんは人の顔色を窺ってばかりで、強い物には巻かれた方が楽だと思っているけど、斉藤さんの強さにも憧れる、どっちつかずなウジウジ系ママ。
子どもとの確執
物語が進むと、斉藤さんはどんどん強くなっていくのですが、最終回、授業参観の日に、子どもたちがクラス全員で教室にたてもこります。
小学校4年生になった子どもたちは、1/2成人式ということで、親への感謝の手紙を書いたのですが、担任(瀬戸康史さん)が添削し、親の耳障りが良いところだけを読むようにしたのです。
子どもたちは本当の気持ちを伝えたいと反発し、立てこもるのです。
斎藤さんはめちゃくちゃ強くなっているので、2階の教室に立てこもった子どもたちを力でねじ伏せようと、なんと2階まで届くはしごを持ち出し、登っていこうとするのです。
授業参観に来たお母さまたちがあっけにとられているところに、摩耶さんが止めに入ります。
子どものために、してあげる?
摩耶さんはこんなことを言ったんです。
「斉藤さんは
『子どものために、教えてあげる』
『子どもだから、分からせてあげる』
『子どもだから、助けてあげる』って言いますけど
あげる、あげるって、それはちょっと違うんじゃないですか。
子どもも意志があるのだから、対話をしなければならないんじゃないですか。
子どもも、もう1人の人間なんですよ」
と。
私はその最終回のシーンを見たときに、なるほどな、確かにな、と思ったんです。
それまで、本当に頼りない摩耶さんが、急にしっかりとして、斉藤さんがハッと我に返るシーンでした。
(セリフをきちんと載せているサイトが見つけられなかったので、バシっと書けないのが残念です。
セリフは全然違うと思います。でも、なんとなくこんな感じのお話でした。)
正義は1つとは限らない
斉藤さんは、子どものために、子どもにとって悪いと思うことは必ず成敗する人でした。
相手がどんな屈強な人であろうとも、絶対に譲りませんでした。
そんな性格だからこそ、自身の正義にそぐわないものは、正してあげることが正義だと、考えていました。
でも、実際の世界は、分かりやすく全ての正義が見えているわけではありません。
実際子どもたちは「授業ができないように教室にたてこもる」という、悪いことをしました。
それは確実に悪いことです。
でも、その背景には「自分たちの気持ちを嘘偽りなく伝えたい」という「正義」があったわけです。
それが確実に悪いことだと、言えるでしょうか?
「してあげる」という表現について、考えるようになった
それ以来、私は「〇〇してあげる」という表現について、気になるようになりました。
人の会話を聞いていると、実は結構たくさんの場面で、「〇〇してあげる」を使っている人がいるんです。
みなさんもぜひ、ご自身の言葉を振り返ってみてください。
例えば、お子さんを持つ親御さんだったら
「せっかく小さい時からピアノさせてあげたのに…」
「なんなら塾だっていかせてあげてるのに…」
ご夫婦でも
「あなたが帰ってくる時間想像して、ご飯作ってあげてるのに!」
「君が喜ぶと思って、ケーキ買ってきてあげたのに!」
こんな感じで、〇〇してあげるって、意外と多く使われているんですよね。
ネパールに図書館を建てたときも
私は、30歳の頃にネパールに図書館を建てる活動をしました。
その時にも
「発展途上国に図書館立ててあげるなんて、めっちゃすごいやん」と言われることがありました。
その時に、「ん?ちょっと違う…」と思ったんです。
無意識に見返りを求めている言葉
「ピアノをさせてあげる」
とか
「ご飯作ってあげる」
とか。
この「〇〇してあげる」という表現は、無意識のレベルで「見返り」を求めている言葉なのではないかと思うんです。
だいたいの会話では、その後に不満の言葉が続きます。
ピアノさせてあげてるのに、どうして全然うまくならないのかしら
→うまくなることを求めている
ご飯作ってあげてるのに、どうしてちゃんと帰ってこないのかしら
→ちゃんと帰ってくることを求めている
これが、しんどくなってしまう「火種」なのではないかと思うようになりました。
まず振り返るべきなのは、自分の心
ピアノさせてあげてるのに、どうしてうまくならないのかしら?と思ったとき、多くの人はこう考えます。
「うちの子、もっと練習時間増やさないといけないのかしら」
「先生、ちゃんと教えてくださってるのかしら」
「ピアノのお教室、変えた方が良いかしら」
これって全部、主語が「私」じゃないんですよね。
息子、娘であったり、ピアノの先生、ピアノ教室そのものに不満が向いています。
でもそうじゃないんです。
まずは
「『ピアノさせてあげてる』って私は言ってるけど、私がピアノをしてほしいと思っているだけではないか?」
と振り返るべきではないでしょうか。
私(親御さん)が、わが子にピアノをしてほしいから、ピアノを習わせている。
でも、今うちの子はピアノが楽しそうじゃない。
でも、私(親御さん)はやめさせない。
それって、やっぱり親御さんが、お子さんにピアノをしてほしいと思っているからですよね?
もしかしたら、こんな反論が返ってくるかもしれません。
「いやいや、それは違いますよ。
最初は息子が(娘が)やりたいって言ったんです。
なんでもある程度は続けることが大事だと思っているから、一回始めたからには続けさせた方がいいんですよ。
ある程度できるようになって、自信をつけさせてあげた方が、将来のためにも良いと思いませんか?」
ほら。
また使ってしまいましたね。
「自信をつけさせてあげる。」
自信をつけたいのは、親御さんの方じゃないのでしょうか?
お子さんは今、そんなに自信がないんでしょうか?
毎日楽しく遊んでいませんか?
「〇〇してあげる」という表現の裏に秘められたもの
子どものために、友達のために、誰かのために。
「〇〇してあげる」という表現の裏には、見返りを求める心が潜んでいます。
それが、自らを苦しめる火種になってしまいます。
この言葉を多用してしまう場合は、どうしたら良いのでしょうか?
その解決方法について、私なりに考えた結論は、次の記事でご紹介したいと思います。
今日もお読みくださり、ありがとうございました!!
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