BLOGしょう先生のブログ

エッセイ:飛んできた発泡スチロール

風の強い日。誰もいないはずのベランダで、コトンと音がした。

ゴトンでもなく、ドスンでもなく、コトン。

 

軽いけれど確実に何かが落ちたその音が気になって、ベランダを覗いてみた。

A4サイズよりも少し大きな白い物体が

ベランダで咲くシクラメンのすぐ横に落ちていた。

発泡スチロールでできた箱の、フタだけが飛んできていた。

 

ここはマンションの高層階。

どうしてよりによって自分の家に落ちたんだろう。

 

ゴミの日に捨てなきゃいけないな。

あ、でも発泡スチロールだから、普通ゴミでは捨てられないな。

ああ、なんでよりによってこの家のベランダを選んだんだろう。

 

ちょっとした苛立ちが自分を包み込もうとした瞬間

いつもそこにあるシクラメンの花が

とてもきれいなことに気が付いた。

 

きっとポジティブな人だったら

「ああ、シクラメンの花に当たらなくて良かった」なんて

きれいな言葉をつぶやいて

笑顔で発泡スチロールを回収するんだろう。


そういえば、どこかで聞いたことがある。

戦争で左腕を打ちぬかれても

ポジティブな人は

「右利きだから左手で良かった」と思うらしい。

 

私にその芸当はできそうもない。

 

ゴミが飛んできたという些細なことで

こんなにも愚痴をこぼす私なのだから

腕なんて撃ち抜かれた時には

一生戦争を恨むだろう。

何か突発的な事象が起きたときに

ポジティブな受け取り方ができれば

人生を楽しく生きられるのではないか…とは思う。

 

だって、どう捉えようと

起きた事柄は変わらないのだから。

違うのは、受け手の感情だけ。

それなら、わざわざマイナスな感情を持つ必要はない。

 

【感情を持つ必要はない】

…ん、そうだ。

 

ポジティブ、ネガティブ以外に、もう1つの受け取り方があった。

それは「何も思わない」だ。

 

ベランダに発泡スチロールが飛んできた。

そんな些細なことで

ポジティブとか、ネガティブとか

心を動かされる必要はないんじゃないか。

 

大切で有限な心を、そんな些末な出来事で消耗したくない。

昔話だが、私は小学生の頃から、テニスの試合に出ていた。

その時に相手選手からよく言われていたのが

「感情が読めない」「読みづらい」ということ。

 

そりゃそうだと思う。

だって、なんとも思っていなかったから。

相手にノータッチエースを取られても

全然感情が動かなかった。

 

もちろん勝ちたい、負けたくないと思う気持ちは強かったが

相手が良いプレーをしたことに対して

何を思っても仕方がない。

全く興味がなかった。

 

私が唯一感情を出したのは

自分がしょうもないミスをした時。

自分のミスは、改善できる。

だから思わず「あー」とか声を出していたと思う。

思い出した。

自分の関与できないところには

感情が動かなかった自分。

それでいいんじゃないかと思う。

 

むしろ、それがいいんじゃないかと思う。

 

発泡スチロールなんてものに

いちいち感情を動かさなくていいじゃないか。

 

思考が落ち着いたところで、パソコンの前に座りなおした。

 

そして今。

 

あの発泡スチロールは

まだベランダにある。

ゴミ袋に入れても良かったんだけど

何がついているのかも分からないので

ゴミの日までは外に出しておくことにした。

 

そのうちまた風の強い日が来て

どこかに飛んでかないかな…とわずかに願っていることは

秘密である。

いかがでしたか。

思い付きで、エッセイ風に書いてみました。

筆が動くままに書き綴ったので

10分ぐらいで書けました。

 

また感想を聞かせてくださいね!

今日もお読みくださり、ありがとうございました!!

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