BLOGしょう先生のブログ

考える習慣

2024年に入ってブログを更新するようになってから、さまざまなお声やメールをいただくようになりました。毎回メールで感想を送ってくださる方や、気に入った記事を写真に撮って携帯に保存してくれている友人、連絡をくれて久々に会うことになった友人も増えました。

Instagramでもハートマークを押してくださる方がたくさんいらっしゃって、励みになっています。ありがとうございます。

以前は「歯の情報を発信する」ことを目標にしていました。今は私が思っていることを綴り、私がどんな人かを知っていただくことに主眼を置くブログにしています。

テーマを変えたので、みなさん様々なことを話してくださるのですが、共通して「物事をよく考えていますね」「深いですね」などの表現を頂きます。どうしてこんな風に考える癖がついたのでしょうか。

もちろん、脳の遺伝子レベルで、そういう性格だった…というのもあるかもしれませんが、後天的なものとして、私は2つあるのではないかと思っています。

1つは、幼少期からテニスをしていたということ。

テニスって、試合中のアドバイスは禁止なんです。

つまり、1人で悩み事を解決しなければ勝利にはつながりません。

 

ポイント間は25秒ほど。

その間に次の展開を考えたり、試合の大局観をつかまなければなりません。

 

いらいらした時も、瞬時に切り替えなければならないので

爆発してラケットを叩きつける選手がいるのも

私個人的には仕方がないものと思っています。

(良くない行動なんですが、気持ちは分かります!)

 

自分の欲求に負けてしまうと、勝てないスポーツ。

自分の思うがままに行動してしまう人は

あんまり強くなかった気がします。

 

客観的に分析し、軌道修正していくことが求められることを

小学生の頃からしていたので、なんでも分析する性格になったのかもしれません。

もう1つは、メンターのような人が周りにいなかったこと。

 

メンターとは、指導者や助言者、憧れの人みたいなものです。

学校の先生だったり、親だったり、憧れの先輩や親友だったり。

保健室の先生なんかも、メンターの側面があるかもしれませんね。

メンターと書きましたが、幼少期なら「甘えられる人」が適切かもしれません。

 

こんな人になりたい!と思ったり

何か悩みごとを相談できる人がいることで

1人で考える必要がなくなる。

 

でも、私はあまりそういう人と巡り合う機会がなかった気がします。

どちらかというと、反面教師にしていた人が多く

「こうしたら、こうなってしまうんだな」と人のことを眺めていました。

 

また、学生あるあるかもしれませんが

悩み事を話したら、結局それが噂話のネタになるんですよね。

 

親しいと思って話したら、みんなにばらされて終わり。

そう思っていました。

だから、話さなかった。

 

その結果、自分で考えるしかなかったんじゃないかな…と思っています。

考えることが普通だった人生なので

改めて「人ってそんなに考えてないよ」とか

「考えすぎちゃうか」とアドバイスをもらうことも増えました。

考えすぎても思考のループにはまってしまうことがあるので

自分なりにうまく折り合いをつけていきたいと思います。

 

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました!

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