BLOGしょう先生のブログ
新年あけましておめでとうございます。
みなさんは初日の出、見に行かれましたか?私はベッドの中でした…
例年友人たちは見に行っているのですが、どうしても朝型人間ではないので、行く気が起きません。
初日の出を見る代わりと言ってはなんですが、おいしいコーヒーを飲みながら、お日様を眺めています。
心が穏やかになります。
新年の抱負
今はこうやってパソコンに向かいながら、どんな1年にしたいかな…と考えていたのですが
ふっと「心を豊かにしたいな」と思いました。
去年は「丁寧に生きる」をテーマにしてきました。
その中で、昨年の後半に1つ、気になったことがあったんです。
「もうちょっと、私自身が人に優しくできないのかな…」と思ったんですよね。
人に優しくすることって、難しい
論語では「四十にして惑わず」と言われますよね。不惑の年。
確かに、私は惑うことはほとんどなくなったように思います。
(もともとあまり惑うタイプではなかったと、友人には言われそうですが。)
それは良く言えば「芯がしっかりしている」ということだと思うのですが
その反面、自分の考えと合わない時に、優しくできていないように感じたんです。
みんないろんな人生を送ってきて、いろんな考え方があって。
それが当たり前だとわかっているのです。
ただ、いろんな人の考え方を聞いていると、どうしても腑に落ちないところもあって。
特に、「それって誰かを傷つけているんじゃないの?」とか
「そうやって言い訳して、自分の弱さから逃げているだけじゃないの?」と思ってしまった時
つまり、私の価値観では「それは(あなたにとっても、誰かにとっても)良くない」と思っている時。
そんな時に、どうやって接したらいいのか分からなくなって、優しく接することができなくなってしまいます。
こうしたほうがいいんじゃない?とか、それは良くないと思う。とか、言ってしまいます。
寄り添うだけで、優しいと言える?
「人は話を聞いてくれるだけでいいから、意見とかいらない。」
「ただ寄り添っているだけでいいんだよ。」
なんて言われますが、それって本当の「優しさ」なんでしょうか。
それは確かに相手を傷つけず、受け入れていると言えるかもしれないけれど…
話を聞くだけというのは単に「穏便にやり過ごすための手段」であって、
長い目で見たら、それは優しさではないと私は思ってしまいます。
でも、おそらくその考え方自体が、優しくない人の考え方なんでしょうね。
結局、優しくない人には、何も話したくなくなるんですよね。きっと。
聞いても、正論が返ってくるだけだから。
求めているのは正論じゃなくて、「それでもいいんじゃない?」って受け入れてくれる人。
だからもう少し、優しさの基準を変えなければならないのではないかと
去年考えていました。
携帯の待ち受け画面にも、「人に優しく」って文字を入れていました。
それでも、やっぱり納得できなくて、ずっともやもやしていました。
それで、年末に、気の置けない先輩に少し相談してみたんです。
類は友を呼ぶ
先輩にはこう言われました。
「そういう人は、同じ価値観の人と遊ぶようになるから。お前が気にすることじゃない。」
「何かあったときに、がっかりするんやから、何もしない方がいいと思う。」と。
なるほどな…と思いました。
価値観の異なる人はいずれ離れていくから、別に気に病む必要はない。
だからこそそんな親身に助言をしたり、忠告をしたりする必要はないと。
あえて相手と口論する必要もないんだから、何もしない方がいいんだよと教えてくれました。
あなたの思う優しさって、どんなものですか?
先輩の話が、おそらく真理なのだろうな…と思いつつも、一抹の寂しさも感じます。
確かにいつかは離れていくかもしれないけれど、それは表面的な付き合いをしているから離れていくのであって
真剣に向き合っていたら、長い付き合いにもなるんじゃないかと。
まだ、自分の中で「これだ!」という結論は出ていません。
でも、迷いながらも、何が本当の優しさなのか、この1年は考えていきたいと思います。
優しさの先に、心の豊かさが
さてさて、新年の抱負に戻りますが。
今年の抱負は「心を豊かにする」こと。
人に優しくできれば、周りに笑顔が増えていくんじゃないかな…と思っています。
いつもお世話になっている人、みんなに笑顔になってほしい。
そのためにまず、自分の心が豊かであること。
穏やかであること…の方が分かりやすいかもしれません。
そんな人間になれるように、生きていきたいと思います。
皆さんはどんな1年にしたいですか?
ぜひ、教えてくださいね。
今日もお読みくださり、ありがとうございました!